5月13日フランシス・クリダ@モガドール劇場 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ - 6月 20, 2012 土曜休日。午後4時からMogador劇場でフランシス・クリダの演奏会。オーケストラはOrchestre Pasdeloup. 地響きのような力強い音によるリスト作曲「死の舞踏」、「ハンガリー幻想曲」が超重量級で圧巻だった。これら2曲を連続で聴いたのは初めてであったが、これが世界初のリスト全集を完成させたリスト弾き、マダムリストと呼ばれたフランシス・クリダを聴く最初で最後の演奏会となった。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
2009年8月1日Musée Maurice Ravel@Ville de Montfort-l’Amaury - 2月 27, 2014 ピアニストの岩崎セツ子氏に、パリに滞在中に是非一度は訪れなさいと勧められていた場所の一つで、以前から一度は訪問したいと願っていた作曲家モーリス・ラヴェルの住んでいた家に向かった。駅から遠く、タクシーも通らない田舎にあるため、小旅行かハイキングの感覚で訪れた。 その日は来客も少なく、とても気さくな管理人のおばさんが、ゆっくり丁寧に家中を案内してくれた。どの部屋もそれぞれの色やテーマがあるようで、それぞれの部屋がそれぞれ独立した不思議の国とでもいえそうな、また中庭は日本庭園の様式で、まさしく芸術家による趣味を凝らした自宅であった。 我々はピアノ弾きだという話をしたら、ラヴェルの作曲部屋にあった展示品であるはずのラヴェルが作曲で使っていたピアノを、親切にも弾いてみてくれと、触らせて頂いた。エラール社製のピアノで、同時代のプレイエル程の軽いタッチだった。このような機会があるとわかっていれば、ラヴェルの曲の一曲は練習してきたかったが、レパートリーになかったため、プーランクの小品を3曲弾かせて頂いた。管理人のマダムも、日本人科学者がラヴェルのピアノでプーランクの曲を演奏するのを、楽しげに聴いてくれた。 続きを読む
2011年リンダウ・ノーベル賞受賞者会議 - 6月 14, 2015 ハロルド・クロトー卿(1996年ノーベル化学賞)と。 Chen先生(2008年ノーベル化学賞)のGFPに大変お世話になりました。ご体調を崩されているとのこと、お大事になさってください。 最も有名なゲストは彼だったのでしょう。ビル・ゲイツさん。SPのガードが固くて話しかけられませんでした。 ノーベル賞受賞者会議を母の代から主催して下さる、スウェーデン王室分家のベルナドット伯爵様。 ロシア連邦教育・科学大臣、現ロシア連邦大統領補佐官。プーチン大統領と竹馬の友だそうです。 アンネッテ・シャーヴァン、ドイツの教育・科学大臣。博士論文盗用疑惑、大丈夫だったでしょうか。 最終日は伯爵様の島にあるお城でレセプション。帰り、根岸先生(2010年ノーベル化学賞)と、伯爵様のクルーザーで。 続きを読む
6月30日~7月3日ワルシャワ旅行 - 7月 28, 2012 お休みと週末を利用してワルシャワを訪れた。これまでに何度か渡航を計画しては、毎回旅程を延期していたため、今度こそはと三度目の正直の強行スケジュールだった。ホテル・フレデリック・ショパンにチェックインし、仕事も多忙を極める時期でもあったため、なるべく体力を使わないように、慎重を期した計画の上で市内を観光した。観光も仕事と同様、限られた時間と体力(時には資金)のもとで、できるだけ多くを体験し、多くの物にふれ、多くを吸収しようとしていた当時の私にとって、時間と体力の浪費を最小限にとどめるよう観光プランを立てることは、最重要課題の一つになっていた。 訪問の主な目的は、私にとってのポーランド出身の三大偉人であるショパン、キュリー夫人、パデレフスキの足跡をたどり、彼らが育った土壌の文化、雰囲気、ポーランドの空気を体に染み込ませることだった。飛行機の中やホテルで寝る前に、その世界になるべく近づくべく最近パリで購入したアルド・チッコリーニの演奏によるショパン作曲ノクターン集の音楽を聴いていた。 初日はショパン音楽院に通う友人と久しぶりに再会し、彼の案内でショパン音楽院を見学し、練習室でショパンの弾き合いをした。そこで先日行われたショパン国際音楽コンクールの審査員らの裏話を聞いたり、友人のワルシャワでの生活について話を聞いたり、会話を楽しんだ。晩はマクドナルドでポーランド人の味覚に対する嗜好を確認すべく、ビッグマックを食べた。その現地に住む人の食に対する嗜好を一番手っ取り早く確認するには、全世界ほぼどの国にでもあるマクドナルドの定番メニューを食べるとよいと言われている。現地人の嗜好に、ある程度カスタマイズされているからである。 二日目は一人で観光に向かった。ショパン博物館には昔から書物などでよく見かけたショパンの絵やショパンの愛用したピアノなどが展示してあった。ショパンの家は残念ながら空いていなかった。市街地の中心にある宮殿の小ささには驚いた。宮殿の大きさ、豪華さがその国の国力におよそ比例しているというのが私の持論の一つであるが、このサイズは東アジアでいえば朝鮮国より小さく、琉球国程度という感じだろうか。国土の広さに対する国力の弱さの対照が、この国と民族の数々の歴史的悲劇を際立たせてきたのであろうか。キュリー夫人の生家、キュリー博物館にはパリのキュリー博物館(キュリー研究... 続きを読む
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