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11月3日キュリー研究所初出勤

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      事務手続き、ネットの接続などに手間取ったが、初日から同僚の助けを得ながらも直ちに実験準備を始めた。この時頂いた机は元キュリー夫人書斎、所長室の上の階で、向かいの部屋にはノーベル物理学賞を単独受賞したフランスの英雄、ピエール=ジル・ド・ジェンヌ先生がおられた。(写真:オフィス風景)   戦前湯浅先生は職場帰りにシャンゼリゼ劇場でジャック・ティボーのリサイタルを聴かれたとのエッセイを残していた。戦前はチッコリーニが主に伴奏されていたそうなので、その時の伴奏もチッコリーニだったかもしれない。チッコリーニのソロリサイタルは後日シャンゼリゼ劇場やシャトレ劇場、サル・プレイエルなどで聴く機会に恵まれた。近衛子(近衛文麿子爵)の指揮する越天楽(おそらく近衛子による編曲)もシャンゼリゼ劇場で聴いたそうである。当時のパリに住んでみたかったものだ。

2005年7月18日キュリー研究所初訪問

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 面接に呼ばれたキュリー研究所(パリ)のジャン=ルイ・ヴィオヴィ、ローザンヌ工科大学(ローザンヌ)のフィリップ・レノー両教授に会うため、3泊4日でヨーロッパを自費訪問した。書類上の問題で、翌週フィンランドでの学会出張と一緒にできなかったため、帰国後数日でまたヨーロッパに向かうことになった。(写真 :ローザンヌ大聖堂)  17日晩にパリに入り、18日キュリー研究所を初めて訪問した。ラジウム研究所の表記が残るキュリー研の門(戦前湯浅年子先生が門前払いされた場所)を初めてくぐり、ヴィオヴィ先生と、同僚となるイタリア人ジョバンニ・カペッロ博士に面会した。(写真 :キュリー研究所入口 )。   人生で忘れることのできない記念碑的出来事、出会いはそう多くはないと思う。この日のキュリー研究所訪問と、後日の名ピアニスト、オリヴィエ・ギャルドンとの出会いは、私とパリとの関係を決定づける出来事だった。(写真:ラジウム研究所時代のアーチ)。