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4月7日ENSセミナー:4月9日小桧山先生宅訪問

 7日金曜、私がキュリー研で行っていた研究と最も近く、一番の競争相手ともいえる研究者で、英国の科学雑誌ネイチャーに論文が掲載され、飛ぶ鳥を落とす勢いのアメリカ人大学院生ジェフ・ゴア氏によるセミナーを、お隣のENSで聴講した。  彼の顔を見た瞬間「こいつかー!」と思った。ケンブリッジの学会で一緒にディナーをした相手であった。うかつにも私は彼程のキーマンの名前を失念してしまっていた。逆に、当時から彼はこちらが競争相手だとわかっていたらしく、研究の詳細や実験技術について質問しても、なかなか答えてくれなかった。(とはいえ、その後ゴア氏とはお互いが別の研究分野に移った後、2010年にボストンで再開することになった。)  その会場で、一緒にケンブリッジの学会に参加してENSの大学院生から、生物学者小桧山政経先生を紹介して頂いた。小桧山先生は、東京大学を学科主席で卒業後、ジャック・モノーに憧れ、終戦直後に単身船でフランスに渡り、モノーとノーベル生医学賞を共同受賞したフランソワ・ジャコブ博士のもとで研鑽を積んだ人物である。チェロ弾きとしても知られていたモノーに影響を受けてか、渡仏まもなくチェロを始めたらしく、それ以来長年チェロを続けているらしい。私は彼と研究の話がしたかったが、彼は僕がピアノを弾くことをその大学院生から聞くに及び、ベートーベンのトリオは弾けるか、モーツァルトはどうかと、一緒に音楽を演奏して遊ぶことにしか興味をもってもらえなかった。とにかく一度先生のご自宅に遊びに来るようにお誘いをうけた。  9日日曜晩、小桧山先生のサン・ラザール駅裏にある自宅を訪問した。先生は終戦直後にパリに船で渡り、以降CNRS研究員として永きに渡り分子生物学の研究に携わられ、現在パリ第六大学ジャック・モノー研究所にて未だに現役で研究に携わっていらっしゃる。とっても素敵な音楽部屋には、壁にはチェロが何台も飾ってあった。国立地方音楽院(CNR、現CRR)ヴェルサイユ校に通われているというヴァイオリン留学生の方もご一緒した。先生はモーツァルトのピアノトリオがお好きらしく、三人で弾こうと誘われた。一応は初見で弾き出してはみたものの、さすがについていけなかった。トリオで譜読み(楽譜を読んで演奏する、または演奏の準備をすること)に一番時間と労力を必要とする楽器はピアノであり、プロのピアニストでもしばしば割

4月6日キュリー研セミナー合宿@Dourdan

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 昨日、今日とパリ郊外Dourdanの施設でキュリー研主催のセミナーに参加してきた。前日からの体調不良のため、2日目のみ参加した。 とってものどかな町で古い町並みに趣があり、バカンスを過ごすにはいい所だった。  午前中から室内にこもってのセミナーであったが、天気がよかったせいか、午後になったら参加者が半分になっていた。ここでも、パリの研究所でも、セミナーや講義なるものは、全て基本的に参加は任意である。但し、自由には責任が伴うものであることを皆よく理解しているらしく、大事なセミナー程出席率が高く、学生の講義等は単位がかかっているため、日本の大学の様に、欠席する人や居眠りをする人は殆どいないそうだ。自由で優雅にみえるここの環境の裏には、全て自己責任という厳しい現実があり、皆ピラミッド社会で一つでも上に行くために、真剣に考えて行動しているのである。昼休みは同僚で共同研究者のミネさんとのどかな山道を散策しながら、お互いの生い立ちから育った環境について語り合い、理解を深めた。特に私がフランス・カトリック系の中学・高校に通っていたことは、彼女に親近感を与えたようだ。先日ケンブリッジで一緒にピアノを弾いて以来、彼女が音楽の話をしたがるのを避けるのが大変だった。彼女は常に私から音楽の話を引き出したがっていたが、私は彼女からフランスの研究業界におけるルールや文化、研究所で生き残るための情報を少しでも多く聞きたがった。  フランスエリート層から認められるために最も重要なことの一つに、教養と文化レベルの高さを彼らに認めてもらうことがある。パリ滞在を通じ、カトリック文化に対する理解と、ヨーロッパの歴史と文化、特にクラシック音楽に対する造詣は、彼らの中に溶け込む際の大きな助けとなった。

4月4日滞在許可証

 恐怖の滞在許可書申請。フランス入国後10日程度で滞在許可証申請すべての工程を終えるようにとの決まりがあるが、11月にフランスに入国してすぐ役所に手続きに来て提示された最初のランデヴー(予約)が半年後とは、いったいこの国の役人はどこまで仕事が遅いのか。単に仕事が遅いという次元を超えている。  書類にほんの些細な記載ミスが見つかっただけで追い返される(追い返されれば次の予約はまた半年後?)この環境で、今回も幸いにも必要書類全て不備なく提出することができ、この時点でようやく申請手続きを行ったことを証明する青いカードをもらうことができた。今回は「これをもって2ヵ月後にこい」と言われた。半年後でなくてよかった。半年後にはもう日本に帰国している予定である。  それまでフランスから出てはいけないことも告げられた。学会や週末休暇にヨーロッパの他国に滞在する予定が多くあったため、どうしたものかと悩んだが、隣の窓口で問い合わせたら、出国手続きさえすれば問題ないと言われた。対応する役人によっていうことが違ったり、場合によっては真逆であったりすることも、この国に滞在する者にとっての洗礼である。自分の手続きを終え、半年前に自分も並んでいた長蛇の列の前を改めて観察してみると、多くのアラブ系、中国系移民たちが何かと指摘をうけて、彼らのほとんどが門前払いを受けている。ちゃんと対応した方が最終的には早く仕事が終わるのではないかとも思ったが、とにかく目の前の仕事がしたくないのであろう。果たして自分は帰国までに無事にアロカシオン(滞在許可証)をもらうことができるのであろうか。  ソルボンヌ・フランス文明講座を受けている人達の間で「ソルボンヌ症候群」なる言葉があるということを聞いた。この講座の短期間集中の詰め込み教育にまいってしまうことらしい。ほとんどの受講生は、中東や中央アジア、中国、東南アジア諸国からフランスに移住する権利を得ることを目的に、はるばるわたってきて、フランス社会に溶けこむために文字通り人生をかけてこの講座を受講しているのである。仕事をしながら、ピアノを学び、更に空いた時間で、趣味感覚でフランス語を学びにきていた私とは真剣度合いがまるで違っていた。彼らの人生をかけてフランス語とフランス文化を身に着けようとする姿勢からは、「ソルボンヌ症候群」なるものに陥ってしまう者がでてくるのも納得でき

4月1日パトリック・ジグマノフスキ&池田珠代@サール・コルトー

  この日、後年長きにわたり友情で結ばれることになるご夫妻のピアノリサイタルに足を運んだ。エコール・ノルマル音楽院に通っていた親友たちが、当音楽院で師事していたパトリック・ジグマノフスキ先生と、奥様である池田珠代さんによるデュオリサイタル。  人間的にもピアノ演奏の面でも、自由気ままな旦那と安定した奥様による、全く堅苦しさを感じさせない演奏会。アンコールで披露されたラフマニノフのイタリアンポルカなども、品格を保った上での遊び心あふれる演奏で、フランスエスプリの鱗片を、音と会場の空気から感じ取るとこができた。

3月28日アンスネス@シャンゼリゼ劇場

 ケンブリッジからパリに戻り、その足でそのままシャンゼリゼ劇場に直行した。  以前から、現代における最高のピアニストの一人であると目しているレイフ・オヴェ・アンスネスのピアノリサイタルを聴くためであった。どのプログラムの演奏も完璧で、テクニック的にも音楽的にも決して崩れることがない、驚くべきほど完璧な演奏だった。

3月26~28日Single Molecule国際会議@ケンブリッジ

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                 英国王立化学会主催の一分子生物物理学国際会議。  私はまだ24歳の大学院生であった頃に、英国王立化学会の論文レフリー(当学会誌に世界中から投稿された論文を審査し、採択するか棄却するか意見を述べる審査員)に任命され、レフリー活動を続けていたため、その本拠地を訪れることを、半ば興味本位で楽しみにしていた。  私はこの分野ではまだまだ新参者で、たまたま駅からタクシーに乗車した方々が、キュリー研の私の研究グループとライバル(というより険悪な仲)のグループ一行だったことに後で気がついた。知らないうちに重要情報を話すことがなくてよかった。  この分野で、少数の優れた科学者のみが集まる、大変密度の濃い学会であった。自身は工学出身で一介の新参者であったが、その白熱しながらもむしろ自由な討論の行われる場にとても刺激をうけた。この分野の大御所や有名人がほぼ全員一同に会し、一分子生物物理の最先端を端的に把握することができた。この学会で得た知識や、一刻を争う激しい競争を目の当たりにしたことが、その後のパリで研究を立ち上げ、遂行する際のモチベーションに強い影響を与えた。  日本人は殆ど参加していなかったため、幸運にも日本においてこの分野で最も権威ある研究者である柳田敏雄先生とゆっくりお話をする機会に恵まれた。彼は私の父の大阪大学大学院時代の後輩であり、「日本人研究者が世界の権威たちと渡り歩くためには、真っ向から討論を受けて立つと言い負かされてしまうため、目立たずこっそりネタを仕込んでおき、気が付いたら勝っていた。という様な戦略をとらないといけない。」という秘策をご教授頂いた。  この学会に参加していたハンガリー人の研究者に、かねてから私が目をつけていたハンガリーのゼゲド(Szeged)市の国立研究所のPal Ormos教授について話をしたところ、やはり彼はハンガリーで一番の生物物理学者だと、彼の研究や人柄について熱く語ってくれた。これがきっかけで後日、Szegedへ彼を訪問することになった。  この時、「レーザー冷却により原子を捕捉する技術」でノーベル物理学賞を受賞した後に生物物理の研究にシフトし、更にオバマ大統領の要請により、第12代アメリカ合衆国エネルギー長官も務めたスティーブン・チュー教授の講演を聞く機会にも恵まれた。彼の講演を次に聞いたのは、20