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9月23日フレデリック・ジェフスキ宅訪問@ブリュッセル

 約2年ぶりに、ブリュッセルへジェフスキ氏一家を訪問した。2年ぶりであったため、トラム(路面電車)を乗り間違えてしまい、予定を1時間過ぎた11時半頃にようやく一家が住むアパルトマンに到着した。慌ててエレベーターに乗ったため、ドアを開けて待っていてくれた氏の”You got the wrong floor”との暖かく響く声で、降りる階を間違えてしまった事に気づいた。  彼らの自宅への訪問はこれで4回目だった。息子のノーム君(言語学者ノーム・チョムスキーへの敬愛の念から命名したらしい)の背が、自分と同じ程まで伸びていたことに、時の経つ速さを実感した。2年前にノーム君へ、小生の研究内容を中心にナノサイエンスについてミニ講義をした時、側で聞いていたジェフスキ氏が得たインスピレーションをもとに、先日ナノソナタが作曲された。娘のエスターはもう10歳になっていた、相変わらず恥かしがりやで話しかけてこないが、椅子を私の隣にわざわざ持ってきてそこに登ったかと思うと右頬に不意打ちキスをもらった。  ナノソナタを献呈して頂いてから初めての再会だった。これまでは政治、音楽、歴史、言語学、科学技術、民族問題についてのうんちくを語り合い、一緒に彼の作曲部屋でピアノを弾くことは滅多になかったが、今回はジェフスキ氏から速攻で「Hideyuki, ピアノを弾こう!」と誘ってくれた。初めに彼の新曲”Dust”や、ベートーベン作曲ピアノ協奏曲第4番のジェフスキ版カデンツァ(というよりはその主題を用いた即興演奏というべきであろうか)を弾いてくれた。そのカデンツァはピアニスト、ジェロム・ローウェンタール氏の依頼だそうで、ローウェンタール氏はウルスラ・オッペンスの彼氏だと教えてくれた。オッペンス氏は現代音楽の名手で、しばしばジェフスキ氏の作品を演奏、レコーディングしている。以前にも、ニューヨークに寄る時は是非ウルスラに会うようにと、勧めてくれていた。ローウェンタール氏はクラシック音楽の演奏家で、現代音楽の演奏はあまり上手ではない、とも。オッペンス氏はアメリカ建国200年祭でジェフスキ氏の不朽の名作「不屈の民」変奏曲を初演されたピアニストである。二人とも日本国内でもCDが販売されている世界的に活躍しているピアニストであったため、両者の名前は知っていた。ちなみにその時、東京でお世話になっていたT先生がジョージ

9月16日お墓参り@ペール・ラシェーズ

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 ここを訪れるのは数回目であり、今後も生涯何度かは訪れることになるだろう。この日はシャンソン歌手のエディット・ピアフ、作曲家のフランシス・プーランクのお墓詣りをした。もうじき、プーランク作曲の「エディット・ピアフに捧ぐ」という曲をステージで弾く予定があった。二人の偉人を訪れ、彼らの存在を身近に感じ、インスピレーションを得て芸の肥やしにできればとの思いからだ った。  晩は自宅で、様々な分野の専門のためパリで学んでいる友人を集め、ピアノをテーブルにパーティーを催した。この秋でパリを去る者、新たにパリから来る者、この季節のパリは去る者との寂しい別れと、新たにパリに来る新キャラとの刺激的な出会いに満ち溢れている。

9月11日再現実験成功

 バカンス前には絶好調だった Rad51 が、バカンスで留守にしていた間にヘタっていて、なかなか DNA をねじってくれなかった。本日ようやく DNA をねじってくれたので、これでまた、追加データを取り始めることができる。

9月9日オーヴェル=シュル=オワーズ

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 仕事もピアノの練習も、山場を迎えて忙しくなる一方、パリ滞在中にできるだけ観光をしておきたいという欲も益々強くなっていた。この日、友達数名でパリを離れ、セザンヌ、ゴッホ、ピサロらが滞在した村Auvers-sur-Oiseへ向かった。ゴッホはこの村で最後を迎えた。名画「オーヴェルの教会」で有名なオーヴェルの教会、ファン・ゴッホ兄弟の墓、ゴッホが最後を迎えた部屋等を訪れた。死の直前のゴッホが眺めた窓からの景色と、今我々が見る景色は変わっていないのだろう。この景色を見ながら最後を迎えたゴッホは何を考え、感じていたのだろうか。

9月6日CNR (Conservatoire National de Région de Paris)

 この日、友達と数名で、ギャルドン先生も教えるパリ国立地方音楽院CNR(現CRR)の練習室に集まった。友達の試験準備のための聴き役として協力するためである。普段一人で練習・演奏をするピアノという楽器を学ぶ若者の間では、本番以外で人に演奏を聴いてもらう機会が他の楽器にくらべて少ないため、しばしばお互いのピアノを聴きあう「弾きあい」を行う。その時友人が弾いたプログラムはどの曲をとっても難解極まる曲ばかりで、楽譜を解読し、弾く事が拷問の様につらいであろうブラームス作曲の変奏曲や、ショパンの練習曲、日本人作曲家の現代曲などであった。聴いているだけでも気が重くなる程の難曲ばかりを見事に弾きこなす、モロッコ王妃国際コンクールの優勝者でもある友人のピアノを聴きながら、このような曲を試験で弾かなくてもよい立場にあるアマチュアとしてピアノを学ぶという選択をして、ある意味よかったと実感した。

9月1日Rad51がなかなかDNAをねじってくれない

 南仏で過ごした20日間のバカンスでは、生涯忘れることのできない思い出と刺激、多くの見分と共に、重い疲労をためこんだ。しかし、帰国時期が迫っていたこともあり、パリに戻ると息つく暇もなく実験に戻っていた。  バカンス前には調子よくDNAをねじっていたRad51蛋白が帰パリ後は一転、なかなかDNAをねじってくれなかった。生物系の実験は、物理や化学と違い、一度成功したからといっていくら正確に実験を再現しても、同じ結果が得られるとは限らないのである。サルであれ、蛋白質であれ、生き物を相手にするので、サンプルごとに個性があり、時には機嫌でも悪いのではないかと思ってしまう程反応しないこともある。仕方のないことではあるが、それだけに、再現性が非常に重要視される。中でも一分子生物物理は、観察が極めて難しいがためこれまで誰も見たことのない一分子の動きを観察するという、極限計測の腕試し勝負とでもいうべき分野である。バカンス前は調子よく実験が進んでいたが、バカンスから戻った後は、実験を中断していたことをあざ笑うかのように、全くといって良い程、実験が進まなかった。サンプルを流し、顕微鏡の2つのつまみを両手でそれぞれ調節しながら、時には4~5時間にわたり同じ姿勢で、ひたすら回っているビーズを探す。それで良い結果が得られそうなDNAつきビーズが見つからなければ次のサンプルで試す。この一連の拷問のような動きをひたすら繰り替えす。それでも、1週間たっても1つもよい結果がえられなかった。目、肩、指と胃が痛くなるが、頭脳は使わないので頭は痛くはならない。  日本人初のノーベル生医学賞受賞者でもある利根川進先生の名言「研究とは肉体労働である。世間一般で思われているような頭脳労働ではない。」を再認識させられた。