投稿

3月, 2014の投稿を表示しています

2009年8月9日~21日モーツァルテウム音楽院@ザルツブルグ

イメージ
  ザルツブルグを直訳すると塩の山。世界中から各界のセレブ達の集まるザルツブルグ音楽祭の期間中なので、市内には裕福な観光客が多く、市内を馬車が多く通るため、路上に巨大な落し物がよく転がっていた。ザルツブルグ在住の日本人が曰く、この時期は「馬糞の香る街ザルツブルグ」だそうだ。  フランスで過ごす最後のバカンスシーズンであり、おそらく人生最後となる長期休暇で、私のピアノ学習の最後を締めくくることになると、前々から予想していた夏は、大指揮者カラヤンも指導したことで有名な、モーツァルテウム音楽院の講習会に参加した。この講習会は、おそらく大規模の講習会では、世界で最も権威があり、参加者のレベルも高い講習会である。世界中から音楽を学ぶ者が集まり、その多くの割合は、それぞれの講師によるオーディションでふるいにかけられ、初日で参加すら断られてしまうという大変厳しいものである。  音楽院の、入ってすぐのホールに、講師の先生方の写真が展示してあった。いずれも名前を聞いたことがある著名な音楽家達ばかりで、彼らの顔写真をみてまわっていると、突然ギャルドン先生のドアップ写真があり、一瞬驚いた。よく考えれば、彼もここで違う週に教えているのだ。私は、おそらく人生最後のピアノの修行になるであろうこの夏の講師として、フランス人ピアニストで兼ねてから師事したいと思っていた、ガブリエル・タッキーノ氏のクラスに希望をだした。彼は、カラヤン指揮ベルリンフィルハーモニー管弦楽団や、カラヤン指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団と若き日に共演を重ねるなど、輝かしい演奏歴をもつピアニストである一方、フランスを代表する作曲家、フランシス・プーランク唯一の弟子として知られ、作曲家本人から教わったプーランクの音楽や演奏法を後進に伝えることに情熱をもっていらした。二度に渡るフランス滞在中、私が最も力を入れた曲はプーランクの楽曲であったため、パリを去る前には是非とも作曲者直弟子のタッキーノ氏に本物のプーランクの音楽を学びたいと切望していた。  初日、タッキーノ先生のクラスで生徒達が集まった。生徒にはモロッコ人、ギリシャ人と日本人がおり、後日韓国人が途中参加したそうだ。初日はオーディションのみで、レッスンがなかったので、ザルツブルグの街を歩き、モーツァルトの生家を見学し、晩は音楽院の練習室で練習した。カラヤンの家

2009年8月3日シャンタル・リュウ@Nogent-sur Marne

イメージ
  ここに来るのは、おそらく最後になるだろう。2006年以来、何度もここに通った。かつてはプーランクが、この町の叔父の家に滞在していたらしい。  いつでも笑顔を絶やさない、年齢を重ねても強くて美しいシャンタル先生。この日はいつになくご機嫌がよく、おそらくその頃ご自分でも演奏されていたアンリ・トマジ(Henri Tomasi)というコルシカ人作曲家の曲をいくつも弾いてくれた。先生のご自宅にあるペトロフ社製のピアノは、あまり状態がいいとはいえず、極めて弾きづらいのであるが、先生が弾かれると、まるで別の楽器であるかのように綺麗に鳴るのだ。シャンタル先生は、いわゆる世界的なスターピアニストではないかもしれないが、音楽とは別の本業で滞在しているにも関わらず、このような本物のピアニストに指導を受け、お近づきになり、お人柄や、音楽を通しての様々な価値観を共有できるパリという街の魅力、またシャンタル・リュウというピアニストの魅力と思い出は、私の人生と共に一生ついて回るだろう。