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2008年7月14日独立記念日

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  休日だが、午後キュリーへ実験の準備に行ったら、それなりの人数が働いていた。研究者は勤勉である。晩9時過ぎにトロカデロ広場で友人達と集まり、ワインを飲みながら、エッフェル塔と重なる花火を見た。2年前より花火が豪華になっていた感じをうけた。しかも今年は音楽つきだった。フィガロの結婚など、オペラ曲が流れていた。来年もここで花火をみているのだろうか。そうだとしたらどのような仲間とであろう。そのようなことを考えながら、人ごみの中でぼんやりと花火を見ていた。次々とキャラの濃い登場人物が現れては去っていくパリのコミュニティは一瞬先が予測不能であり、それが常に刺激をもたらしてくれる。

2008年7月9日イタリア語

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 今回の滞在で、キュリー研で私に割り当てられた机の両隣はイタリア人の同僚だった。キュリー研内の我々の研究グループでは、フランス語の次にイタリア語が公用語となっていた。「コメバ?」(調子はどう?) 「ベーネ!」(好調!) で一日が始まる。これらイタリア人だけでなく欧米文化圏で共通する一日の始めに交わす会話を、日本ではどういうのかと彼らに問われ、とっさに出てきたのが「どうよ?」「まあまあ」だった。日本では「絶好調」とは言わず、まずまずだというのが普通だという日本人の慣習を、国際感覚豊かな彼らは興味をもって理解してくれた。欧米、殊にフランスでは、庶民の黄色人種に対する強い偏見と侮蔑とは対極的に、上流やエリート達の日本人と日本文化に対する敬意と理解は相当なものだと聞いていた。控えめに表現するとか、意思表示をあまりしないなど、日本特有の文化に彼らはもともと理解と興味があったようだ。  机に座ると、窓からピエール・マリーキュリー通りに立ち並ぶ美しいアパルトメントが見え、近所に住む日本人ピアニストの菅氏の家からは、練習かレッスンか、程よく心地よい音量でしばしばピアノの音が聞こえてきた。菅氏に師事していたピアニストの知人もいたため、この音、このタッチは誰々さんのピアノかな、など、仕事の合間にピアノが頭をよぎることもあった。 (写真:机からみえたピエール&マリー・キュリー街)

2008年7月2日ショパン@オランジェリー

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  今春から再びキュリーに戻っていた。前回パリを去った後、東京で1年数カ月を過ごし、その間に博士号審査なる儀式を済ませていた。そのため、研究者としては特段何かが変わったという実感はなかったが、今回は「博士」の称号を得ての渡欧だった。ほんの1,2年前までは、博士課程終了後は、米国系コンサルティング会社に新卒入社するか、米国ボストンに渡るかを想定していたが、この頃は何の迷いもなく、再度キュリー研に戻っていた。  第一の目的は、前回の滞在で仕上げきれなかった仕事を完遂し、論文にまとめるためである。前回の滞在で特に目立った成果を出さず、無難に過ごして帰国していたら、想定通りビジネス界へ転職か米国に渡るかの二択だっただろう。幸か不幸か、フランスに戻らなければならない研究者としての事情があり、それを放り出して人生ゲームの駒を出世する、又はよい待遇を享受できる方向に進めることに目が向いていなかったのである。この時の私の選択に対し、その研究者根性を評価するか、キャリアを止める「賢くない」選択としてみるか、周りの反応は人それぞれだった。今思い返せば、大半の関係者は後者だったように思われるが、私はこの選択を生涯後悔することはないだろう。  今回の住まいも、はじめの1カ月間は国際大学都市(Cité Internationale Universitaire de Paris)に滞在しながら、楽器の弾ける部屋をパリ市内に探した。今回は指揮者の小沢征爾氏も住んでいたフランコ=ブリタニック館(イギリス館)に入っていた。  この日の夕方、ギャルドン先生門下の友人とショパンの連続演奏会”Chopin en miroir, avec un Hommage aux jardins de Bagatelle”シリーズのマルク=アンドレ・アムラン氏の演奏会を聴くため、ブローニュの森にあるバガテル公園のオランジェリー庭園にむかった。このシリーズでは、世界的なピアニスト達がそれぞれショパンの作品を含んだプログラムでリサイタルを行っていて、先月が当演奏会シリーズのギャルドン先生の演奏会があったため、門下生一同で応援に行ったばかりだった。アムラン氏の次は広瀬悦子氏。  アムラン氏の演奏を聴くのもお会いしたのも8年ぶりだった。髪もかなり薄くなっていて、初めにステージに現れた際は別人かと思っ