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2009年7月4日、5日ミラノ旅行

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  この週末はバーゲン期間初日にあわせてイタリアはミラノで過ごした。15世紀にミラノ公爵フランチェスコ・スフォルツァが、ヴィスコンティ家の居城を改築して建設した城塞で、現在では美術館として公開されているスフォルツァ城で、様々な美術品や展示品を見学し、有名なドゥオモを観光して、夜は運河の畔で、ゆっくり一人でくつろぎながら夕食をとった。この晩宿泊したホテルのボーイさんが、何故かしきりにフランス語を喋りたがっていて、英語で何を答えてもフランス語でしか話してこなかったため、相手をするのが若干面倒だった。  バーゲンに合わせてきたとはいえ、もともと買い物が好きな方ではなかったため、特にこれといった目的があったわけでもなく、気に入ったバッグと靴を購入しただけで、大した戦利品はなかった。残りの時間は現地の音楽大学に留学で在住の知人に会い、色々と語りあった。  キュリー研の同僚で上司でもあるイタリア人のジョバンニが、「仕事の集中力を高め、より質の高い仕事をするために、積極的に休暇でチャージするのだ」とよく言っていた。労働時間、というより、職場にいる時間の長さが評価基準になってしまう日本の研究業界では、このような発言はタブーかもしれないが、これこそが生産性高く、質の高い仕事をし、人生を豊かにするために欠かすことのできない習慣であることは、この頃には既に身をもって実感していた。

2009年6月27~7月1日ボストン

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  今回のパリで仕事に区切りをつけた次は、ボストンで研究活動を続ける予定であったため、その下調べや面接のため、ボストンを訪問した。今回のパリ滞在中は、アメリカ東海岸との往復が多くなることは予想していたが、いざ東京、パリ、ボストン、ニューヨークを回りながらの生活が始まると、さすがにかなりの負担だった。  いつ行っても変わることのない、第2の故郷ボストン。現地の知人、元隣人のヒックス夫人とそのご家族と会い、更に彼女の長年の友人で東欧系の血を引くフランス人出身のパティシエ、アントワン翁とも知り合いになった。彼は私以外には英語で話すのであるが、私に対してだけ、フランスを懐かしがってか、フランス語で話してくれた。彼は第二次世界大戦の折にアメリカに移住してきたそうだ。二人とも戦前世代であり、折に触れて先の大戦の話しを回想していた。特にアントワン翁はヨーロッパでの体験を思い出してか、「どんな理由であれ、人が人を殺す正当な理由などない。」と口癖のようにおっしゃっていた。  今回のボストン滞在は、休暇をとっての私費での出張だったが、ハーバード大学・マサチューセッツ工科大学(MIT)でセミナーをさせて頂き、次の仕事の内定も頂き、複数の研究室を訪問して知見と人脈を広げることができた。空いた時間で、幼少期家族と頻繁に訪れたパブリックガーデン、ボストンコモンをフラフラ散歩し、大好きだったロブスター料理を食べたりした。  最終日はボストン美術館で、幼少期に何度か見た記憶のあるモネやルノワールの名画に再会した。それらの絵画を見ると、以前この絵画を見た頃のボストンでの幸せな幼少期が回想され、当時にもどったかのような、懐かしい感覚に浸ってしまう。最も幼少期の脳裏に焼き付いていたのは、モネによる「ラ・ジャポネーズ」。言わずと知れた名作であり、モネの妻カミーユが着物をきてフランス国旗風の扇子を片手に持って、その背景には、無数の団扇が舞っている。しかし残念ながら、この時は貸し出し中であったのか、「ラ・ジャポネーズ」との再会はならなかった。