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2007年7月22日 本郷にて

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 東京帝国大学教授でもあった夏目漱石の「三四郎」を読んだ。明治時代、田舎から出てきた研究者のことが書いてあり、面白かった。 三四郎の定義によれば、 第一の世界=地元:「いつでも戻れるし戻りたいけど戻らない。」 第二の世界=研究の世界:「皆身なりは必ず汚く貧乏。」「この世界にいるものは(華の)現世をしらないから不幸で、迫ってくる運命に気づかないで戯れている子供だから幸いである。」 第三の世界=華の現世:「銀さじがあり歓声があり笑語がありシャンパンがあり美しい女性がいる。」 であり、三四郎にとって 第一の世界:「逃げ場のようなもの」。 第二の世界:「いつでも出られるが、せっかく理解しかけた趣味を思い切って捨てるのも残念」 第三の世界:「目と鼻の先にあるが近づき難い」「自分がこの世界に入らなければいけないし入れると思うが、自由に出入りすることができない(=行ったら戻ってこられない)」 らしい。専門家ではないので解釈が多少間違っているかもしれないが、100年前の研究者も、我々と何も変わらないようだ。 但し、彼のようにそれに気づいている人がどれだけいるだろうか。また、気づいている人は第二の世界では生き残れないのかもしれない。  彼の考えた解決策は「第一の世界の代表として親を呼び寄せ、第三の世界の代表としてそういう妻をめとり、第二の世界で身を立てる。」である。都合が良すぎる話ではある。