6月24日モンパルナス墓地お墓巡り

 
 日本から従兄弟が出張帰りにパリに立ち寄ってくれた。沖縄県人会関係の知人の画家を誘い、3人でパリ散策に向かった。オペラ座ガルニエ前の階段で従兄弟と待ち合わせ、リュクサンブール公園で画家の知人と合流した。まず定番であるが、キュリー研、キュリー博物館とその周辺を案内し、その日はモンパルナス墓地へ向かった。パリ市内の主要な墓地には、地図と共に著名人のお墓が明記されていて、参拝したい著名人のお墓を効率よく探すことができるようになっている。
 この日、特に参拝したいと思っていた著名人は、作曲家の中でパリにきてからおそらく一番練習しているたサン・サーンスだった。その他、サルトル、ボーヴォワール(作家)、クララ・ハスキル(ピアニスト)、ポアンカレ(科学者)、ガルニエ(建築家)、ランパル(フルート奏者)の墓をお参りした。パリで没した日本人、サツマさんのお墓もあった。「バロン薩摩」のあだ名で知られた希代のパトロン、資産家で、パリ国際学園都市(シテユニベルシテ)の日本館(別名薩摩館)に全額出資した薩摩治郎八の縁者であろうか。有名人リスト中唯一の科学者、ポアンカレ先生のお墓も訪問した。残念であるが、科学者だとここまで人類史上に残る偉業を残しても、殆ど誰も訪問者がいないらしく、花の一輪も添えられていなかった。一方で人気歌手ギンスブルグや作家サルトルの墓には置手紙やお花がたくさんあり、死後も訪問者が絶えない。人間社会における縁の下の職業ともいえるいわゆる理系の職業と、表舞台で活躍する職業とは、死後何世紀が経っても、このように同じ墓地の中で、一方は気付かれることもなく、他方は多くの訪問者の祝福を受け続ける。どちらがいいとかいう問題ではないが、色々と考えさせられる現実である。
 この時画家の知人から、19世紀末、日本がパリ万博に参加する際、外交権がなかったため、外交権をもった元国家元首であった尚泰(最後の琉球国王、当時侯爵)の名で署名して日本国が参加した時の、尚泰の署名入り登録書をパリで見たという話を聞いた。是非一度拝見してみたいものだと思った。パリにこのような琉球人の足跡があることを、どれだけの沖縄の方が知っているだろうか。
 その後、パリでご活躍の沖縄出身アーティスト、幸地学さんの絵画展をみて3人で食事をし、日没後サン・ルイ島を散策し、アルコールを飲みながら美術や哲学について色々と語りあった。

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