2009年8月25日赤門同窓会@パリ リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ - 4月 02, 2014 ロンドン留学中の大学・サークルの同期と、旅行で来ていた同じくサークルの同期、彼のハーバード時代のルームメイトで医師・神経科学者のM君とで集まった。キュリー研とその周辺を案内し、レアール広場の辺りで食事をした。金融マンや官僚さん達には、キュリー研やソルボンヌなどの古い伝統ある建物には興味をもってもらえなかったようだ。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
2011年リンダウ・ノーベル賞受賞者会議 - 6月 14, 2015 ハロルド・クロトー卿(1996年ノーベル化学賞)と。 Chen先生(2008年ノーベル化学賞)のGFPに大変お世話になりました。ご体調を崩されているとのこと、お大事になさってください。 最も有名なゲストは彼だったのでしょう。ビル・ゲイツさん。SPのガードが固くて話しかけられませんでした。 ノーベル賞受賞者会議を母の代から主催して下さる、スウェーデン王室分家のベルナドット伯爵様。 ロシア連邦教育・科学大臣、現ロシア連邦大統領補佐官。プーチン大統領と竹馬の友だそうです。 アンネッテ・シャーヴァン、ドイツの教育・科学大臣。博士論文盗用疑惑、大丈夫だったでしょうか。 最終日は伯爵様の島にあるお城でレセプション。帰り、根岸先生(2010年ノーベル化学賞)と、伯爵様のクルーザーで。 続きを読む
2009年9月9日キュリー病院 - 4月 10, 2014 パリを去る日程がほぼ確定してきたこの頃、キュリー研では研究を引き継いでくれる予定の大学院生さんに、引継ぎを徐々に始めていった。私の発明した次世代磁気ピンセットシステム(FRMT)を使った研究をアメリカでも日本でも行う予定はなく、私が去っても、キュリー研のこの場所で、誰かに使ってもらい、更なる研究発展に寄与してもしいと切に願った。この研究の今後の発展は彼にかかっている。しっかりやって欲しいものだ。アメリカに移った時も、日本に戻った時も、年に1度は出張でキュリー研を訪れ、この装置が稼働しているのを見るたびに、とても誇らしく、かつ嬉しく思った。 キュリー研(研究所と病院)職員による演奏会の時のCDを受け取りに、キュリー病院へ、演奏会主催者の一人であるコリーヌさんを訪問した。キュリー病院に入ったのは、1度目の訪問時に予防接種を打ちに行った依頼、3年半ぶりだった。コリーヌさんが、小児病棟で、がんに苦しむ子供たちを見て欲しかったらしく、彼らの可哀そうな病状を説明してくれた。ジョリオ=キュリー夫人も最後はこの病院に担ぎ込まれたらしい。 晩は友達4人で、フランスで初めて映画館にいった。ジーアイジョー(G.I. Joe)は子供の頃ボストンで流行っていたのを覚えているが、原作とは余りにも違い、トランスフォーマーの実写映画に同じく、半分ギャグのように感じた。フランス語吹き替え版のアメリカ映画を初めてみたのも初めてだった。 続きを読む
2009年8月1日Musée Maurice Ravel@Ville de Montfort-l’Amaury - 2月 27, 2014 ピアニストの岩崎セツ子氏に、パリに滞在中に是非一度は訪れなさいと勧められていた場所の一つで、以前から一度は訪問したいと願っていた作曲家モーリス・ラヴェルの住んでいた家に向かった。駅から遠く、タクシーも通らない田舎にあるため、小旅行かハイキングの感覚で訪れた。 その日は来客も少なく、とても気さくな管理人のおばさんが、ゆっくり丁寧に家中を案内してくれた。どの部屋もそれぞれの色やテーマがあるようで、それぞれの部屋がそれぞれ独立した不思議の国とでもいえそうな、また中庭は日本庭園の様式で、まさしく芸術家による趣味を凝らした自宅であった。 我々はピアノ弾きだという話をしたら、ラヴェルの作曲部屋にあった展示品であるはずのラヴェルが作曲で使っていたピアノを、親切にも弾いてみてくれと、触らせて頂いた。エラール社製のピアノで、同時代のプレイエル程の軽いタッチだった。このような機会があるとわかっていれば、ラヴェルの曲の一曲は練習してきたかったが、レパートリーになかったため、プーランクの小品を3曲弾かせて頂いた。管理人のマダムも、日本人科学者がラヴェルのピアノでプーランクの曲を演奏するのを、楽しげに聴いてくれた。 続きを読む
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